『「幸せになりたい」と言っている人は、ずっと幸せになれない。
なぜなら幸せは、「なる」ものでなく「気づく」ものだから」』
こう書いてくれたブログを読みました。
なんとなくわかっていても、言葉にすると
そうだよ。そうだよね、と再認識。
良いことがないと「ああ、なんかイイことないかな〜」
うなく行かないと「ああ、最悪!」と落ち込む・・・・
穏やかに進む日常は、当たり前。
当たり前に対しては、残念だけれども鈍感の様です。
夫が闘病生活に入り、会話も間々ならなくなる数日前に
「どんな時に幸せを感じる?」
と聞いたことがありました。
するとすぐに
「〇〇〜!(私の名前)と呼ぶと、奥の部屋からニコニコしながら君が出てくる時」
と言ったのが忘れられない。
その光景は日常でした。
夫が亡くなってからもこの会話は、幾度も頭を巡ります。
うれしいやら、せつないやら・・・
夫が、「幸せ」をこう捉えていたとしたら、
日々、多くの幸せを感じ過ごしてくれたに違いない・・・・
と、あらためて思う。
日々の中の些細なことを大切に思い、喜び、感謝する心。
これぞ「幸せ」な日々を送る極意ではないか?
自分を取り巻くたくさんのものへ
「ありがとう!」
と大きくつぶやいた朝でした。
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